あんまり書くと私の母がへこむので前置き。私の母は自身の人生経験から、より良い方法を子供に伝えたかったんでしょう。もうウン十年も昔の話ですし、母は母で当時必死だったと、親になった今なら分かるので深く気にしないように。
さて、母は、そりゃもう口出し、手出し。「効率のいい方法を教えてるねんから、そのやり方でやったほうが早くできるでしょ!」「違う、そうじゃないやん。よく見て。」
私も妹もいってました。「お母さんうるさいねんもん。」「自分でやりたいの!」最後はお手伝い「したくない。」「すぐ怒るからヤダ」
「娘はモンテッソーリ教育にそって育てよう!」と決意したのは、モンテッソーリ教育を調べてすぐでした。それは、この本のタイトルを見た瞬間。
「ああ!そうだよ、そうなんだよ!!」小さいとき、私は母にそう伝えたかったんだよ!!
私はすぐにモンテッソーリ関連の本を図書館で借りました。
モンテッソーリ教育の目標と理想の一致
子どもに求める人間性
子どもの自立を目的としていている教育で、基本は「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがあり、生涯学びつづける姿勢を持った人間に育てる」ということだそう。
おやおや!この「自立」に様々な意味が込められてるぞ。というか以前書いた幼児教育について考えを書いた長いメモ(現在非公開)の娘に身につけてほしい力が集約されてる。
子どもを影から支える存在
モンテッソーリ教育が大人(私)に求めるのは以下の通り
「子どもは、自らを成長・発達させる力をもって生まれてくる。大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない」
娘の黒子になりたいと書いた理想のような関わり方。押し付けがましくなく、私が親として憧れた存在になれるかもっ!
娘にあっていそう
モンテッソーリ教育を調べているうちに、娘に合ってるんじゃないかなと思い至りました。まだ始めたばかりなので「合っていそう」という感覚ですが。
娘の性格、好んで行う行動がなんともモンテッソーリらしいというか・・・。まあ、子どもを観察して導きだされた教育なのでそりゃ合うでしょう。ってなもんですが、うーん、そうじゃないのですよ。難しい!娘を見てないと分からないと思うw
子どもにしてあげたいこと
以前書いた幼児教育について考えを書いた長いメモ(現在非公開)で、私は教育は適切な時期、環境、教育者が必要との考えを書きました。モンテッソーリは子どもが、あることに対して特別に敏感な感受性を発揮する時期を【敏感期】と名付け、大人は子どもをしっかりと見守る中で敏感期を見つけて、子どもに適切な環境を与える必要があるとしているそうです。(モンテッソーリ教育ならではの提示は環境と教具を結びつける手段?だそう。)
一方的にカリキュラムに沿って、与えるだけの教育ではないという点は私の理想としているものです。
モンテッソーリ教育に求めたもの
できる子っていうと、大体「お勉強」のイメージが先行すると思うのです。私はやっぱり人間ができていてなんぼだと感じます。
モンテッソーリはとことん子どもが主体
子どもの人格を信じて、子どもの自主性を育てる。教師や親が主体の教育を受けてきた私にとっては、とっても、とっても魅力的です。上記で述べましたが、自分の理想と一致している=私自身が受けたかった教育そのものです。
私自身の穴を埋めたいエゴ
私は今まで受けてきた教育に満足しておらず、私自身の甘さ、甘えはもちろん、折々当時の大人への恨みがあります。
これはエゴです。自分の甘さや大人への恨みを昇華したい。私は娘を利用して幼い頃の心を持った自分が救われたいのです。それが私自身の成長になると信じています。
ここに正直な気持ちを書いておきますが、娘に押し付けるつもりは一切ありません。娘が成長する裏で、私も勝手に成長しておきます。(したいな)
モンテッソーリ教育を始めるにあたって
娘にモンテッソーリ教育が合っていないと感じたら、私はスパッ!っと辞める覚悟があります。それをここに宣言しておきます。娘が嫌がったり、合っていないと感じたら辞めます。
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